私たち日本人にはあまりなじみがないかもしれないが、「感謝祭(サンクスギビング)」で食卓に並ぶ七面鳥は、西洋圏では非常に有名な存在だ。その七面鳥をめぐる寓話が、ブログ運営や情報発信を考える上で意外なヒントを与えてくれる。
七面鳥の寓話――毎日のエサが当たり前になる罠
イギリスの哲学者バートランド・ラッセルが例に出した「養鶏場の七面鳥」の話をご存知だろうか。
この七面鳥は、毎日農場主から規則正しく餌をもらい、「明日も餌がもらえるに違いない」と確信を深めていく。過去の経験がすべて「安全・安定」を保証していたからだ。ところが、感謝祭(アメリカで家族や友人が集まり、七面鳥料理を食べる祝日)の前日、農場主は突然、七面鳥を料理用に屠殺する。七面鳥の「明日も平和」という帰納的推論は、まさにその前日に崩壊することになる。
この寓話は、過去の成功体験に基づく慢心の危険性を鋭く指摘していますね。ブログ運営でも同じような落とし穴に陥りやすいものです。
日本人には感謝祭や七面鳥の食卓という文化的背景がわかりにくいかもしれない。しかし、この寓話が示す「過去の成功体験に基づく慢心」や「与えられた環境に安住してしまう危険性」は、私たちの身近な状況にも当てはまる。
"与えられたネタ"を量産するブロガーは七面鳥になりうる
例えば、ブログ運営においても「このキーワードが儲かるから書け」「このジャンルはPVが稼げるから攻めろ」と、周囲の情報に流され、自分の意志とは無関係な記事を量産することがある。
確かに、最初はPVも伸び、収益も出て、「お、調子いいぞ!」と気分は上々だ。だが、その好調さは"農場主(=マーケットやアルゴリズム、あるいはアクセス数重視の風潮)"が与えてくれている一時的な恵みかもしれない。ある日、突然アルゴリズムが変わったり、市場のニーズがシフトしたり、コンテンツ政策が締め付けられたりして、「感謝祭前夜」のような事態が訪れるかもしれない。
その時になって、「あれ、俺は何のために記事を書いていたんだっけ?」と愕然とする。これが、我々が七面鳥的ブログ運営から学ぶべき一つの教訓だ。
自発的な表現こそが、感謝祭を回避する鍵
もし、自分が本当に書きたい記事、伝えたいテーマ、心から関心を持つ話題にフォーカスしていたらどうだろう。アクセス数が少なくても、一日1PVでも、自分の言葉で発信する行為は、与えられた餌に依存した「七面鳥スタイル」とは違う自立的なエネルギー源となる。
日々の更新が自分を燃やし、自分が価値を見出した記事が積み重なっていく。それは感謝祭のような外部からの突然の「終わり」を強制されにくい、いわば「内発的に継続可能」なブログライフだ。
自分が本当に書きたいことを書き続けることは、小さな一歩かもしれませんが、確実な一歩になりますよね。
1日1アクセスでも100記事書けば100アクセス
小さな数字だって積み重なれば意味が出てくる。自分が書きたい記事を100本用意したら、1日1アクセスでも100アクセスになる。それがPV主導型の「養鶏的コンテンツ生産」より劣るように思えるかもしれない。
だが、その100アクセスは、ただ市場が流した餌を"啄ばむ"ことで得たわけではない。自分が価値を感じる情報を、自発的に提供し続けた証でもある。
結論:自分で選んだ餌で生きる
アルゴリズムや流行ワードに振り回される七面鳥にはならないことだ。自分が育んだアイデア、自分が信じるテーマ、自分で選び取った言葉こそ、外部環境が激変しても「屠殺」されない精神的な糧となる。
自分の価値観に基づいた発信は、たとえ時間がかかっても、より深い満足感と持続可能性をもたらすものですね。
七面鳥的コンテンツライフを卒業しよう。
与えられる餌に依存せず、自分自身の軸で記事を書く。
それが、感謝祭の屠殺を回避し続ける"哲学的・クリエイティブな生存戦略"なのだから。